「8月9日の記憶」 松尾 幸子
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- Опубликовано: 10 окт 2024
- 被爆者が被爆した場所等で体験を語る被爆証言です。
本人映像とともに被爆当時の写真や絵を多く挿入しました。
・・・松尾 幸子さん被爆体験・・・
国民学校5年生(11歳)の時、爆心地から1.3㎞離れた場所で被爆しました。
私は無傷でしたが、弟達は怪我や火傷を負いました。0.7㎞地点にあった我が家は跡形もなく焼けてしまい、姉の骨だけが出てきました。 倒壊した建物の下敷きになった父は8月28日に亡くなりました。兄2人、姉、兄嫁、叔母2人も亡くなりました。
◆(公財)長崎平和推進協会
www.peace-wing...
わたしは戦争を知らない29歳ですが、
戦争というものは他人事ではないと、感じます
生きてる限り、 人間でいる限り、
戦争と無縁ではおれませんね だからこそなるべく戦争をしないように
生きる事が求められています
戦争とは人が死ぬこと
戦争とは人が苦しむこと
戦争とはなにかのための生かされ、なにかのために死なねばならないこと
殺し合っている当人たちでさえ、ゴールが見えない中、
ただ死んでいかねばならないことだとおもいます
核廃絶を願い平和への願いをいつも胸に亡くなられた方々の計り知れない辛さを考えては自分に何が出来るのかを考えては悩む毎日です。私にも息子が2人いますが私もこんな時代に産んでしまってごめんねと心のどこかでいつも思っています。なぜ人は過ちを繰り返すのか、犠牲になるのは国民や何の罪もない平和な日々を過ごしたいと願う人や動物たちなのに。本当に簡単な事が難しいです。
「8月8日 長崎は灰の町」と書かれたビラの話は、当時の方には知られた話ですよね。
いろんな貴重なお話をありがとうございました。😢
核兵器を1日でもなくなって欲しいと祈っています😌
なんだ……そのビラ……
アメリカはまいたんだよ
被曝体験を語り継ぐ働きは、平和の光。ありのままを世界のリーダーに聞いてもらいたい。二度とこの被曝被害者を出してはいけない。秋月辰一郎さんはベスト日本人 秋月平和賞を世界に伝える
神奈川だけど工廠や演習場がぼちぼちあったからか、
慰霊塔というか平和祈念碑みたいなのはいろんなとこにあるわ。
でもなんとなく長居はできないのはなんかいるのかもしれんな…